■第5回キンボールワールドカップ2009■

事務局旅日記その4

10月28日(水)

この日は昨日より練習時間が1時間遅くて10時30分からということで、ちょっとだけゆっくりめ。散歩がてら外にでようかと思ったが、少しだけ雨が降っていたので、ホテル内のレストランに。ホテル内だけに少し高い。15ドルぐらい。中身は日本でもよくあるかんじのバイキング。ただ、バイキングだけに野菜も取れる。ただこのホテルも含め、カナダにきて生野菜はほとんど見なかった。食べたかんじとしては、普通においしい。

今回のカナダで、個人的な感想としては、びっくりするほどまずいものにはであっていない。辛口でいえば、これはとうまい!というものにも出会っていない気はする。時間的に余裕がなく朝しか自由に選んで食べておらず、昼は軽食的に、夜は用意されたものをといったかんじだったからかも知れない。


朝食後、バスで体育館へ。男子は昨日の反省を活かした練習を、女子は初戦に向けての練習。選手が練習中、金曜日にある、国際キンボール連盟のミーティングでの次回開催地としての日本および宝塚市のアピール文を高見団長、今泉副団長と考える。



1時間の練習後、ホテルへ。私はアピール文を仕上げようとホテルに残ることとした。他のメンバーはモールに買い物へ。タクシーで10分くらいらしい。

アピール文にとりかかり、なんとか1/3ぐらいできたころ、事件が起きた。携帯がなったので、でてみるとメンバーからの電話。どうやらタクシーの中に全財産入りの財布を忘れたらしい。

ホテルのフロントに相談にいく。フロント係がタクシー会社に連絡してくれた。タクシー会社は1社しかないらしく、電話でやりとりしている。いわく、ホテルからモールに連れていってくれたタクシーには連絡がとれたらしい。でも、なかったとのこと。がーん。8割方いけると思っていたのにショック大。一応、再度探してもらうように要求。フロント係が再度タクシー会社に連絡してくれて、最後に担当者が交代する時に再度捜索してくれることなった。

困った時のPJ頼みで、大会会場にいるPJに電話する。ちょっと取り込んでいるらしく、10分後折り返し電話をくれた。こちらに人をよこしてくれるとのこと。だいたい20分ぐらい後、2名もこちらにきてくれた。直接タクシー会社に連絡してくれたり、フロントにかけあったりしてくれた。が結局出てこずじまいのまま。

これはさすがに無理だとあきらめ、メンバーに電話する。メンバーも一縷の望みを捜索に託していたようで声に元気がなかった。クレジットカード等も入っているのでホテルに戻ってインターネットで停止の作業をするとのこと。

それからしばらくして、みんな戻ってきた。そのメンバーはインターネットでその後クレジットカードの停止等の作業を行っていたとのことだった。

夕刻よりの試合に向けて、ブルーな気持ちのまま、準備していると部屋をノックされた。そこには安堵の表情をしたそのメンバーがいた。タクシーの運転手がいましがた、財布を届けにきてくれたとのこと。嬉しすぎて多くお礼を渡しすぎたことなど話してくれた。いやー、時間はかかったけどほんとによかった。


さらに、この日ようやくご飯の段ボールがホテル到着!いったい今までどこに行っていたのだろう?


気分を元に戻して、大会会場へ。

今日は女子だけの試合。夕食はケータリングで温かい食事。今日は全員早く食べるように伝える。


20時30分開始予定の女子の出番。スペイン/ベルギー/日本。やっと女子チームの緒戦。女子も苦戦を強いられる。第1ピリオドをベルギーが奪う。第2ピリオドはスペインとの2チームの延長戦。これは負けるわけはないだろうと思っていたら、見事に持って行かれた。動きは昨日の男子に比べて悪くはないはず。ようやく3ピリオド目から本領発揮。3,4,5ピリオドを波にのって3つとる。女子緒戦、白星スタート!

 


この日、試合のなかった男子チームも応援を力の限りしてくれた。今までは、男子は自分の試合に入りこみすぎて、女子の応援がおろそかになりがちだったが、今大会は違った。この日は高見団長より掛け声の提案などあり、新しい掛け声を男子チームが考え試みたりしていた。



前からプログラム等に書いてあったが、ゲームの対戦表のあと、アフターゲームとあり、これなんだろうスタッフとかでゲームするのかなという話になったが、結局スポーツセンターのバーで交流を深めるというものだと分かり、高見団長、今泉副団長と視察がてら向かう。バーは簡素なものでなく、街中にあるバーと遜色ないもの。

大会終了後、岡村マネージングディレクターとレフリーの清水さんも合流。このころ続々と選手や関係者がバーにやってきた。その数推定50人以上。100人は言い過ぎかも知れないが、バーはリアルに満席以上の状態。大繁盛。みんな、毎日パーティやってるんじゃないかと思った。実際、毎日やっていた人もいるだろう。

そして小1時間がすぎるころ、ソファーを隅によせ、みんな踊り出す状態に。深夜1時も近い状態であったので、ちょっとだけ踊って帰ることとした。みんな当たり前だが若い。そこにはいわゆる年配の各国の上層部は見かけなかった。


バスでホテルに戻って、今泉副団長の部屋で反省会後、就寝。

ちなみに、バスは深夜2時が最終らしい。その後バーで盛り上がった人の一部はホテルで朝4時頃まで騒いでいたらしい。次の日、ホテルから大会本部にクレームがきていた。夜11時以降に廊下などで話をしているものがいたら、追い出すと。やれやれ。実際次の日から警備員が巡回していた。


また、この日はシュガーランチなるツアーが組まれており、黒川女子トレーナーと松井ディレクターが視察を兼ねて参加した。シュガーの単語に腰が引けたが、トラディショナルなランチ会だった模様。ちょっとだけメープルシロップを凍らせて食べるものだったらしい。ここには日本選手団を除く多くの選手や関係者が集まっていたらしい。ここでも後半は踊りまくっていたとのこと。






そして、1名就職試験のため、遅れてきた男子プレーヤ―がこの日合流。一人旅であったが、なんなくモントリオール空港までたどり着けたらしい。私たちと違うようだ。このプレーヤ―は日本の秘密兵器。明日からの活躍に心から期待していた。